雪の日記2

高知の田舎で生姜のお仕事をしながら子育てに奔走中!

人の命について思うこと

昨日とても驚いた会話があった。

世界事情としては、ロシアがウクライナに侵攻して一般人が犠牲になっています。

私の意見としては、人を力ずくで何とかしようとするのはそろそろやめてもらいたい、人のものを自分のものとして考えるのはやめてほしい、自分の理想や思想を貫き人を犠牲にするのはやめろ、そんなとこです。

 

まず最初に驚いたのは、

 

この世の中で戦争が起きるなんてね

 

と言われたこと。

 

え?

ついこの前まで中東とアメリカ、バチバチでしたよね?

あれ?

ミャンマーの内紛は?

ん?

アフガニスタンタリバン政権が復権したんじゃなかった?

えっと?

中国とインドの国境、解決した?

 

と、まぁ、実際に人と人が武器を使って殺し合いをしているって状況は永遠に世界のどこかで行われていて、内紛≠戦争、だったとしても隣国間でのやり合いは続いているのでは・・・。

それがどっこい、多分平和ボケというか、テレビ世代というか、メディアが扱わない情報は入ってこない人にとっては世界は平和なのでしょうね。

ロシア・ウクライナの問題は世界を巻き込んだ大きな問題なので、突然大戦が始まったという感覚なのでしょうか。

なんかビックリしちゃった(´・ω・`)

 

それからこれ。

 

戦争はいかんが暗殺はかまん

 

これには顎が外れた。

 

ロシアの資産家が、生死を問わずプーチン大統領を捕まえた人に懸賞金を出す、という記事を見てシェアしたときの会話。

 

プーチンは殺せ。

戦争をやめろ。

多くの犠牲より1つの犠牲。

 

これ、いいのかなぁ。

私は前々から気持ちが悪かったことがあって、それは、アメリカ人が人が死んだことを喜ぶ性質であること。

例えば、サダム・フセインの処刑で国民が喜ぶ。

例えば、ウサマ・ビン・ラディンの暗殺に国民が沸く。

私はこれに嫌悪感を抱く。

相手が誰であれ、人の命が無くなることに喜ぶという感覚が理解できない。

それがどんな人であれ、どんな悪党であれ、どんな殺人鬼であれ、「喜ぶ」という感覚はない。

麻原彰晃の死刑執行の時、嬉しかった?

人が死んで嬉しいって、どうなんやろう。

 

私の中の例外はたった1つ。

虐待するやつ。

こいつらは死んで償えと思う。

子どもだろうが動物だろうが、弱いものをいじめて楽しむような奴らは死んで当然やと思う。

それでも嬉しくはない。

喜ばしいことではない。

 

なので、1つの犠牲の上で多くの命が助かるのであれば、暗殺は良いことであるという言葉は衝撃だった。

だって、戦争を体験して、しみじみと「戦争はいかん・・・」と言っていた人が言ったから。

戦争によってたくさんの人が死ぬのは良くないけど、一人の悪者が殺されるのは構わない、と。

 

そこは「暗殺じゃなくて捕獲がえいねぇ」であってほしかった。

 

どんなに悪くても、どんなに憎くても、死なんでよくない?

むしろ晒せばよくない?

こいつ世紀の大悪者ですよ~って。

 

きっと、人の命の重さは「1」なんだろうね。

だから、天秤にかけたとき、1人対大勢になったとき、足し算で勝てない。

そうかなぁ、と思う。

そこは掛け算でいかない?

1×1は何人集まろうと1じゃんか。

それじゃダメかね。

 

と、モヤモヤしている私です。

重くなったので超絶ブスのKちゃんで終わりたいと思います(笑)。

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うちの子、ひょうきんでよかった。