雪の日記2

三十路が田舎の日々をつづります。

妊娠は自分の体に起きている

痛いほど突きつけられた現実。

所詮、(他)人の体で起きていることは、自分たちには痛みや苦しみはわからない。

心配することはできても、それが何の役に立つだろう。

 

痛い思いをしているのはお前だけではない。

苦しいことはこっちだってあるのだ。

 

たとえ夫婦であっても、痛みを分かち合ってもらえると思うのは傲慢であり、所詮は他人が共同生活をしているだけなので、当事者であっても例外ではないのだ。

 

昨日の夜はひどかった。

お腹の張りに加えて、動悸に近い体のダルさ、そして息切れ。

お風呂から上がってからそれが止まらない。

張り止めの薬は前々からあまり効果がないので、お風呂の前に飲んではいてもいつも張るのだが、今日はいつも以上に張っている気がする。

暑いのでドライヤーの前に体を冷やすため扇風機の前で座るのだが、椅子に座っているだけで動悸がする。

椅子ではしんどいので、リクライニングチェアに移動するも、少し体勢を変えるだけで息切れがする。

 

なんとか髪の毛を乾かして寝室に移動し、いつも通り骨盤高位の体勢に入ったが、息切れがして耐えられず、体勢を保てない。

当然、逆子体操もできない。

着圧ソックスを履くにも一苦労する。

そしてそのまま寝る体勢に入る。

 

ここまで、一度も旦那は心配の声をかけない。

 

テレビを見て何か言っているが知らない。

スマホを触っている。

いつも通りに。

 

この時に痛感した。

あぁ、妊娠も他人事なのだな、と。

 

しかし、彼を責められない。

だって、他人事なのだから。

彼には苦しみがわからないし、痛いのは彼ではない。

彼には彼の痛みや苦しみがあって、それは私にはわからないのと一緒。

 

つまり、風邪だろうがガンであろうが妊娠だろうが、自分に起きていることなら、他人に辛さを共感してもらうなど不可能であるし、またわかってもらいたいなとど思うのは独り善がりなのだ。

 

夫婦だから、妊婦だから、という理由で「わかってもらえる」「わかってもらえて当然」と思ってはいけない。

そんなことは理由にならない。

自分で解決するしかないのだ。

 

しんどくてもご飯の準備をしたり、片付けをしたり、洗濯したり、それが役割分担ならやるのだ。

できなければ頼むのだ。

頼まなければ、いつも通りできると思われて当然だ。

「辛そうにしているのに」を盾に「伝わるだろう」と思ってはいけない。

人はエスパーではないのだ。

辛いことをわかってもらいたければ言う。

ただ「辛い」と言ってもダメだ。

具体的にどうしてほしいか言うのだ。

そこまでして初めて伝わる。

 

そんなことを教えられた夜でした。